むねちゃんのお部屋

大阪在住の2児の母です。鬼ごっこで遊びながら社会をより良くするプロジェクトを運営しています。読書の備忘録をも。

カテゴリ: 平凡な日常。

学生時代から海外とか英語が話せるってことに憧れを持っていました。
 
だから、知り合いが海外で働いてたり、
旅行してたり、英語ペラペラだったりすると、
羨ましいです。
 
そっちの道を真剣に選ばなかった、
選べなかった自分が原因なんだけど、
やっぱり羨ましいです。
 
でも、この前、友だちと後輩が家に遊びに来てくれて、あることがあって、 
あ、私って、望んだもの、手に入ってたんだ!って思いました。
 
あることってなんなのか説明すると
うちでは日常の風景みたいなもんなんだけど、
 
旦那さんが体はって、息子を笑かすんです。
 
裸で踊ったり、
特別広くもないリビングをダッシュしたり、
シュッとか、ビューンとか、
声出しながら体動かすと、
息子めっちゃ笑うんです。
 
「0歳児ってこんな笑うんかい!」
っていうぐらい、ケラケラ笑うんです。
で、私はその息子の笑い方が可愛くって、面白くって、息子以上に爆笑します。
 
その日も「いつものやって」って私が旦那さんにリクエストしたら、
サークル仲間の手前、いつもより控えめに、旦那さんが息子を笑かし出したんです。
それでも、息子にはめっちゃ面白かったらしく、ケラケラ笑いだして、私も爆笑。
10分くらいは息子も私も笑ってたと思います。
 
はー、面白かった。って思ったら、
後輩がうっすら涙を浮かべて神妙な面持ちでいるんです。
何泣いてんの?って思ったら、
こんな世界があるとは思いませんでした」って、後輩が言うんです。
 
なんか、よっぽど幸せに見えたんでしょうね。
普通だよってその場では思いました。
 
でも、よくよく思えば、結婚して息子ができて、毎日ちょっとしたことで笑って、
これってずっと私が求めてたものだったってことに気づいたんです。
 
私、(私の話ばかりでごめんなさい笑)中学生の時から、
結婚願望がやけに強かったんですね。
 
24歳くらいで結婚したい。子どもは2人くらい。
そう公言していたし、高校生の時も、付き合う付き合わないとかじゃなくて、
結婚できるできないで異性を見てましたね。
 
だから、第一志望の大学に落ちても
「女は学歴が高すぎると結婚できないから良かったね」って言われたら納得できたし、
(今は学歴が高ければ、学歴の高い人と結婚すればいいと思ってるので、この発言はどうなんだ?)
就職活動の時も「この会社で5年後どんな働き方をしたいですか?」って聞かれても、
内心「5年後は結婚して福井に行ってますね」って思ってたし。

つまりは、何が言いたいかって言えば、
1番望んでた幸せな家庭ってのを、私はちゃーんと手に入れてたんだなってことです。
 
バリバリキャリア積んでる子もいるし、
好きなだけ学問極めてる子もいるし、
友だちと海外旅行&美味しいもの三昧の子もいる。
羨ましいですよ。笑
 
でも、私が1番望んでた暮らしは、今の暮らし。
 
仕事でも、
学校でも、
旅行でも、
遊びでもなく、
私は家庭。
 
自分の幸せの目盛りはそれが基準。
 
ただ、人って何か手に入ると、また別の何かが欲しくなるようで、
今度は、仕事を充実させたいです。
もちろん、私の1番大事な家庭を犠牲にしない働き方をしたいです。
家庭を犠牲にしちゃったら、きっと幸せって思えなくなっちゃうから。
 
自分が何を1番大切にしたいのか、
それを自覚するのって以外と難しいんだけど、
自覚したらそれがちゃんと側にあって、人が羨むものだったりするんですよね。

実家のおじいちゃんが死んだ。
知らせを受けて、旦那さんと息子と浜松に戻る道すがら、こんなことを考えた。 

「息子が産まれたから、おじいちゃんは死んだんだろうな」

命には順番がある。
誰かが産まれて、誰かが死ぬ。

今まで、身近な人が死んだことがなかったから、私にとっては初めてのリアルな「死」のはずだった。
でも、お棺の中のおじいちゃんは、私の知っているおじいちゃんじゃなかった。
色黒だった肌はおしろいで白くなり、頬は大きく痩せこけていた。

偽物みたい。

お棺の中のおじいちゃんを見た、率直な感想だった。
私の半歩前に横たわっているのが、死んだおじいちゃんとはどうしても思えない。

お葬式の最後、おじいちゃんのお棺の中に黄色いお花をそっと添えた。
「おじいちゃん、痩せちゃったね」
そう言葉にしてみたけど、その言葉はどこかふわふわしていた。

おかあさんとおばさんはボロボロ泣いていた。

結局最後まで、おじいちゃんが死んだという実感は湧かなかった。
まだ、私の中のおじいちゃんは、わがままで頑固で、どこまでも強いおじいちゃんのまま。

きっと、おじいちゃんの死は、これから私にやってくるんだろうな。
おじいちゃんが当たり前にいないことが、おじいちゃんの死を実感させるんだろう。

生と死。
生とは、当たり前にここに存在するということ。
死とは、当たり前にここに存在しないということ。

そのことを、息子とおじいちゃんが教えてくれた。
 


先日、10年来のお友達と電話をしました。

その彼女と話をして、感じたことがあります。
彼女が、与えられた仕事や役割をきちんと果たし、そこにやりがいを感じながら働いていること、そのことがとても素晴らしいなと。

私はいつも「何か特別なことをしなければいけない」と思い過ぎていたことに気づかされたんです。

人より優れた何か。
周りから凄いと賞賛されるような自分。

そういうものを求め過ぎていたんじゃないかと。 

世間から評価されなくても、人と比べて特別じゃなくても、自分の役目を自覚して全うする。
それこそが尊い生き方なんだと、感じたんです。

でも、彼女は、そんなこと、まったく考えていないと思います。
そこがまた凄い。
地でそういう生き方ができるなんて。

当たり前のように繰り返される毎日を、大切にしながら、ただ日常を生きていく。
そんな生き方を、私もしていきたいです。

息子が生まれたから、そういう日常にある大切なことがわかるようになったのかもしれません。


夫婦で出かけた後の夕方。
旦那さんも私も眠くなってお昼寝。

頭がぼーっとなっている中で「眠いなぁ」と思いながら、息子の授乳していました。
(この後、お風呂掃除して、夕食作って、そしたら・・・)と、せわしなく思考がぐるぐる。

そんな時、「今、幸せを感じなくていつ感じるんだろう」 って気持ちになりました。

こんなに穏やかな休日を過ごして、
お義母さんとお祖母ちゃんが「夫婦で出かけて来なよ」って息子を預かってくれて、
息子が手間もかからず上手にお乳を飲んでくれて、
生活に困らないお金と環境があって、
ありがたいなって。

世界規模でみたら文字通り、有難いことなんだと思います。

そんなことを考えていたら、部屋に旦那さんが入ってきて
お互い同じタイミングで「「(体調)大丈夫?」」ってハモりました。 

同じ気持ちで気遣い合える、 それがまた、たまらなく嬉しく思います。

こんなささやかな毎日に、感謝の気持ちでいっぱいです。
 

大学時代、ゼミの先生に言われた言葉を思い出しました。

一番いい告白の仕方は、面と向かって『好きです。』と伝えること」という言葉。

先生曰く、駆け引きをして相手の気持ちを探ったり、遠回しに告白するよりも、真正面から告白する方が相手の心に届くと。
「好きです」なんて言われ慣れていない人ばかりだから、本気度も伝わると。

数か月後、好きな人ができた時、素直な?私は先生の教え通り、「好きです」と彼に告白しました。
その日からつき合い始めて早4年半。
もしかしたら、この先生の教えがあったから、今、彼と結婚して、息子とも出会えたんじゃないか、そう、ふと思うのです。

女の私から告白したと言うと驚く人が多いけど、恋愛で大事なことは「自分の気持ちを相手に伝える」ということだと思うんです。
それも、自分から先に
男とか女とか、関係ない。

そう思う理由は3つ。
①結果に対して納得できる。
②物事に主体的になれる。
③気持ちを言葉にする力がつく。

①について。
まず、振られても納得できると思います。
好きで仕方なかったのに、いつの間にか意中の相手に恋人ができたら、「もし、自分が先に告白していたら・・・」と「もし~だったら」系の未練がほぼ確実に残ります。
一方、告白が成功してつき合いだしたとして、相手の嫌なところや合わないところが見えてきても、「そっちが好きって言ってきたから仕方なく付き合っている」んだ、などという愚かな感情は湧いてきません。←意外とこういう人いる。
告白した時の相手を想う気持ちを思い出すことができます。←これ大事!
付き合うのも、付き合わないのも自分の責任って思えます。

②について。
恋愛で自分の主体性を発揮できると、他のことにも主体的になれます。
何事も他人任せで、流される人生からの脱却です。
流れに身を任せるのもたまにはいいですが、ここぞという人生の分岐点では主体的でありたいもの。

③について。
相手が自分のことをどう思っているかわからない時、「好きです」と告白するのは勇気がいります。
誰だってフラれるのは嫌だし、かっこ悪いから。
それでも、ちゃんと自分の気持ちを伝えれた時、ちょっとだけ強くなれる自分がいます。


相手の告白待ちをしたり、 なんとなく付き合ってるのかなってずるずる関係が始まっていったり、そういうカップルは大抵長続きしないですよね。
傍から見ていると、「早く告白しろ!」ってお節介ながら言いたくなっちゃいます。

SNSが流行って、なんでもSNSやLineでやり取りできちゃう今だからこそ、直接会って、言葉を伝えることの価値は高まっていると思います。
相手の顔色や声色、匂いや体温、立ち方、座り方、すべてが相手へのメッセージです。


恋愛から結婚に発展したら、その相手は「運命共同体」になります。
生涯にわたって共に生きる相手を、自分で選びたくないですか?

なら、ちゃんと自分から気持ちを伝えましょう。


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