実家のおじいちゃんが死んだ。
知らせを受けて、旦那さんと息子と浜松に戻る道すがら、こんなことを考えた。 

「息子が産まれたから、おじいちゃんは死んだんだろうな」

命には順番がある。
誰かが産まれて、誰かが死ぬ。

今まで、身近な人が死んだことがなかったから、私にとっては初めてのリアルな「死」のはずだった。
でも、お棺の中のおじいちゃんは、私の知っているおじいちゃんじゃなかった。
色黒だった肌はおしろいで白くなり、頬は大きく痩せこけていた。

偽物みたい。

お棺の中のおじいちゃんを見た、率直な感想だった。
私の半歩前に横たわっているのが、死んだおじいちゃんとはどうしても思えない。

お葬式の最後、おじいちゃんのお棺の中に黄色いお花をそっと添えた。
「おじいちゃん、痩せちゃったね」
そう言葉にしてみたけど、その言葉はどこかふわふわしていた。

おかあさんとおばさんはボロボロ泣いていた。

結局最後まで、おじいちゃんが死んだという実感は湧かなかった。
まだ、私の中のおじいちゃんは、わがままで頑固で、どこまでも強いおじいちゃんのまま。

きっと、おじいちゃんの死は、これから私にやってくるんだろうな。
おじいちゃんが当たり前にいないことが、おじいちゃんの死を実感させるんだろう。

生と死。
生とは、当たり前にここに存在するということ。
死とは、当たり前にここに存在しないということ。

そのことを、息子とおじいちゃんが教えてくれた。