仏道から学ぶ休脳生活のススメ!

現代人が、日常から強い刺激に囲まれ、さまざまなことを考えすぎている傾向にあります。
怒りや不安、苦しみが蔓延する生活の中で、どうすれば心やすらかに暮らしていけるのでしょうか。

『考えない練習』の著者、副住職を務める小池龍之介さんは、頭で考えるのではなく、五感を研ぎ澄まし、今に集中する方法を推奨しています。

以下、ポイントをまとめます。
私たちが、「いま自分は五感のうち、どれを使っているのか」に自覚的になるためには、これらの感覚を漫然と行うのではなく、能動的に行うことです。

私たちは自由に考え、自由に話をしているつもりでも、そこにあるのは「刺激によるインプット」と、「思考が自動的に反応するアウトプット」だけなのです。

もし、ムカつく!と思ったら、すぐにこの「ムカつく!」をカギカッコでくくってしまうのです。
(中略)あくまでも、ひとつの見方や意見として、いまこの「ムカつく!」が持ち上がってきているだけなのだなと自己認識することです。

本当に申し訳ないという気持ちがある場合は、自分の心を楽にするための謝罪や言い訳ではなく、相手のしんどさを和らげるためにどうするかを考えると良いでしょう。

「自分の言葉や行動が原因で、相手に苦が生じてしまっているのが明らかな場合」
「嘘のない言い訳を相手に伝えることにより、相手が楽になることが確かな場合」
これらの条件が揃った場合は、誠実な言い訳が有効なこともありましょう。

いま自分がどんな感情を抱いているかを、日常生活の中で、呼吸を通じてチェックする練習をしていますと、次第に自分の感情に気がつきやすくなります。

コミュニケーションにおける、ありとあらゆるすれ違いは、相手が自分を犠牲にして快楽を得ているのではないかという妄想に基づいています。

どのような時でも役に立つのは、相手を突き動かしているのは、苦しみ=ストレスなのではないか、という洞察です。

人と会うごとに、自分の姿が映像として相手の目に映っていて、その映像が相手の心を刺激していることを、常に心の片隅においておくのです。

「これは自分じゃない」と思いつつ出している憎悪こそが普段は出せない本当の自分の姿なのです。

充実しているとか幸せであるということは、実は「何を食べているか」にはほとんど依存しておらず、単に「食べているものに、しっかり心がとどまっているか、いないか」ということによってのみ決まっているのだ、とわかってくることでしょう。

無自覚的にものを増やしていくと、必然的に人格も次第に悪化していきます。

買いものには投資という側面もあります。本当に好ましいと思えるものをきちんと選んで、それを作ってくれている人たちにお金を回すという心持ちで買いものを行っていると、自分はきちんとした形でお金を使っているなと心から満足できることでしょう。

仏教入門としても楽しめる1冊です。